渡良瀬通信 2003年6月号記事
「アメリカは私に“夢”をくれたけど、ペルーでの体験では“人生”そのものを教えてもらいました。」「全てが自分探しの旅立ったように思います。」と世界46カ国を歩いてきた経験を振り返る。
 現在『アカデメイア・ランゲージ・スクール』で運営・指導にあたっている、江黒さん自らの体験を語ってもらった。
 小学2年生の頃、“オイルショック”を身近な工場の閉鎖という形で経験した江黒さんは“石油は世界を動かす”この事実を知り、「世界を見てみたい、世界経済を動かしてみたい。」という夢を描くようになっていった。17才の頃には、自分が生きていく場所と理由を問い続ける、自問自答の日々が続いた。身の置き所が無くなり、山に隠ったこともあったという。
 高校卒業を待ち米国留学、ついに世界に飛び出していった。「渡米後、やりたいことを躊躇なくできる環境に、私の心は救われました。やっと、自分は自分のままでいいのだと思えるようになりました。」
 さらにその思いを確信へと変える出来事に出会った。19才のとき、イギリスから北に位置するスカイ島でのこと。「そこには、草原に放たれた羊たちの群れと、朽ち果てた古城があり、空はどこまでも青く澄み渡っていました。一見のんびりとした風景のようですが、北風が吹き荒れ、足元の断崖からは、北海の波しぶきがせり上がってきていたのです。まるでバラバラの風景のようでありながら、それは見事に“調和”していました。形の違った存在が、調和している姿に感動を覚え、自分もまたその一員であることに喜びすら感じました。自分が存在することを許されたようで…。」
 その後、長い米国滞在の中で社会の裏を知り、米国に対して疑問を持ち始めた頃、南米ペルーの孤児院で、教師をやってみないかとの誘いがあった。「飛びつくように依頼を受け、ペルーの孤児院で教師をすることになりました。ここで出会った子供たちの純粋さにふれ、忘れかけていた人間としての当たり前の感覚を、教えてもらった気がします。誰かと一緒にいられるだけで、それは幸せなこと…こんな気持ちです。」
 「私はこのとき“天職”を見つけたことを確信しました。子供たちに生きることの素晴らしさを教えたい、世界の文化に触れ学ぶチャンスをつくってあげたい。そんなシステムを作り上げることこそが現在の夢となったのです。」
 こうして今江黒さんの“グローバル・プロジェクト”は歩き始めた。
文・写真 / 松尾幸子
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